Vの歌を聴け

「完璧な投資などといったものは存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね。」

春の訪れ

そうだ、株を買おう。

僕が初めてそう思ったのは、今からちょうど2年前、僕が人生で3度目のディズニーランド訪問を果たした年の春のことだった。

完璧なまでの幻想に象られた、小ぎれいなネズミたち、おとぎ話の王女、チップとデール…彼らが招き入れた夢の国の熱気にすっかり当てられた僕の懐に、その時突然、投資の女神が舞い降りたのだった。そして、その思念は、まるで啓示のようにまっすぐに、僕の額の奥にある前頭葉のさらに奥、海馬傍回に突き刺さった。

そうだ、株を買おう。

うららかな春、とは言い難い、汗ばむような日差しのもとで、僕は人生で初めて、はっきりと、そう思った。

目的?そんなこと、あとから考えたらいいじゃないか。第一、このありきたりでつまらない人生に、大層な目的など未だ見出せないでいる僕にとって、何事においても合目的的である必要など、これっぽっちも無いのだ。

そうだ、株を買おう。

その時の僕は、少し前に近所の川沿いの土手を埋め尽くしたつくしのように、希望に満ち溢れていた。あるいは、希望に満ち溢れているように見えた。

けれども僕は、あらかじめ悔恨や絶望といった概念をも包含した希望というものがこの世に存在することを、その時はまだ知らなかったのだ。

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