Vの歌を聴け

「完璧な投資などといったものは存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね。」

ペニスとポートフォリオとの相関性について

2018/07/19

経済学とセックスを結び付けて思索する学者は決して少なくない。

世代内の経済的格差は「将来の経済的自由」の損失を惹起しかねない「奔放なセックス」を抑止する傾向にある、という者もいれば、比較的貧しく娯楽に乏しい経済・文化圏ではセックスが数少ない娯楽のひとつとして好まれ、結果的に超多子世帯が多くなり、教育に費やすほどの経済的余力を得ることのない世代が再生産され、次の世代もまた数少ない娯楽としてのセックスに興じる、と指摘する者もいる。

しかし、これらの似非性科学者の指摘に拠らずとも、よりプリミティブに、セックスと経済学が交わるところを我々は簡単に見いだすことができる。

「ねえ、なに難しい顔してるのよ。別の女の子のことでも考えてるの?」彼女が僕の一部を身体に受け入れながら、少し険しい目つきをして言う。

株式投資のパフォーマンスは、言い換えれば、ペニスの拡張や収縮そのものだ。

ディフェンシブだろうがグロースだろうが関係ない。ペニスが、紳士的な佇まいから、少しずつ、あるいは急激に、伸展、拡張するように、含み益が増大し、利益確定という名のオーガズムを目指して高揚、興奮していく。
そして、ある者は素早く、そしてある者は限界まで先延ばした後に射精し、含み益は消失する。後に残されるのは、幾ばくかのキャッシュと、ペニスのようにだらしなく弛緩したポートフォリオだ。

逆に、真冬の寒空の下を、肩を縮こまらせて歩くとき、僕らのペニスもまた、普段の見慣れたサイズよりも随分と縮こまっているのを見たことはないだろうか。それが、含み損を抱えたポートフォリオだ。-20%、-30%、-50%…ポートフォリオが真っ赤に染まる時、僕らのペニスは真っ青となり、その存在価値すら失う。縮こまったペニスでは誰も悦ばす事など出来ないのだ。

バフェットはこう言う。「上手に買った株は、一生手放す必要はありません」
つまり、バフェットは、本当に素敵な女性とのセックスは、猛々しく血管の浮き出たペニスをインサートしたままで、オーガズムに達することなくずっとそのままでいなさい、と言っているのだ。言い換えれば、バフェットは、株式市場という名のハーレムで、たくさんの銘柄を相手にディープなスローセックスを楽しんでいるのだ。

そんなことを考えながら彼女と交わるのは、とても素敵なことだった。
その日、僕のポートフォリオもまた、これまでに見たことのないようなパフォーマンスを叩き出していた。「悔しいけど、なんか今日すごい」と彼女は言った。

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