Vの歌を聴け

「完璧な投資などといったものは存在しない。完璧な絶望が存在しないようにね。」

ニーサンとの別れ(1)

僕には少し年の離れた兄がいる。いや、「兄がいた」という方が実情としては正しいのかもしれない。

昔々、僕がまだ小さい頃、兄は僕に何度も「魔法」を見せてくれた。

僕らの家は決して貧しいわけでは無かったが、両親は共働きだっが。家の中に常におやつがあるわけでもなく、母親が帰ってくるまで、腹を空かせて夕暮れ時を兄弟で留守番することもしょっちゅうだった。

「おなかが空いたね。のりくん、いくらか小銭があったら、ニーサンにちょっと貸してくれないか?おやつ買ってきてあげるよ。お金はあとでちゃんと返すから」

兄はそう言うと、微笑みながら僕に向かって右手を差し出した。

僕はまだ、日暮れに差し掛かる時間帯に交通量の多い大きな道路を超えて300mほど先にある駄菓子屋まで一人で出かけるのは不安だったから、いつぞやお年玉でもらった百円玉を引き出しの奥から引っ張り出してきて、兄の大きな手のひらの上にちょこんと乗っけた。

「よし、いい子だね。じゃあ、ちょっと行ってくるよ」
そう言うと、兄は、僕の百円玉を持って出かけていった。

しばらくすると、兄は、手のひらからこぼれ落ちそうなくらいの(少なくとも、小さな僕にはそのように見えた)「うまい棒」やら「焼肉さん太郎」やら「ビッグカツ」やらを携えて家に帰ってきた。

「ほら、食べよう」
「ありがとう、ニーサン」

兄が買ってきてくれたビッグカツの、あの歯ごたえを今でもよく覚えている。今となってはあんなものは「カツ」でもなんでもないのはわかっている。あれは、魚肉のすり身を薄いシート状に伸ばしたものを、スパイシーな風味で味付けしフライしたものだ。本来ならば、「魚肉のコートレット」とでも呼ばれるべきものだ。だが、幼い頃の自分にとっては、兄が買ってきてくれたビッグカツは、母が作る手料理よりも美味しく感じられた。

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僕が言う、兄の「魔法」は、驚くほどに美味しいビッグカツのことではない。

数日後、兄は「のりくん、この間のお金、返すね」と言って、僕の手のひらの上に120円を優しく乗せてくれたのだ。

「ニーサン、僕、100円…」
「うん?いいのいいの。のりくんのお金の"貸し賃"だよ!」
「いいの…?ありがとう!」

兄にお金を預けたことで、美味しいビッグカツが食べられて、しかも、手持ちのお金まで増える。小さい頃の僕にとって、これは「魔法」以外のなにものでも無かった。
その後、何度も何度も僕は兄の言うとおりにお小遣いを少し預け、その度に、美味しいお菓子を食べ、しかも僕の貯金も雪だるま式に増えていった。
幼い僕には、そんな兄の「魔法」がいつか解けることになるだなんて、考えたことも無かった。

 

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